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ダイニング

住宅などにおける炊事のための場所。厨房(ちゅうぼう)、厨(くりや)、勝手(かって)ともいう。また、寺院では庫裡(くり)、神社では忌火屋殿(いみびやどの)などの呼び名があります。 1. 歴史 縄文時代の竪穴(たてあな)住居では、住居の中で火を使った場所としては、中央部の炉の跡しか残っていない。竪穴住居で囲まれた広場に火を使った跡がある場合があり、共同で生活していたとすれば、この火で共同の炊事をしていたのではないかと考えられる。もちろん、それぞれの竪穴住居の中にあった炉においても、炊事をしなかったわけではなかろう。 弥生(やよい)時代の竪穴住居では、初めは縄文時代の延長であったが、稲を栽培して米を常食にするようになると、甑(こしき)などの米を蒸す道具がみつかっているところから、竪穴住居の中の炉に甑などをかけて炊事をするようになったと考えられる。時代が下るにしたがって、竪穴住居の中央付近にある炉のほかに、奥の壁に接してかまどを設ける住居址(し)が発見されるようになり、かまどの周囲からさまざまな種類の煮炊きに使う土器や、皿などの食べるときに使う土器などが発見される例がみられるようになる。 中国大陸の考古学的遺物では、台所やかまどをかたどった明器(めいき)がいろいろ発掘されているが、日本の場合はかまどをかたどった埴輪(はにわ)が発見された遺跡は多くはない。 古い習慣が伝承されている例には、宮中における大嘗会(だいじょうえ)があります。大嘗会のための建物の中には、台所として悠紀(ゆき)内院・主基(すき)内院それぞれに大炊屋(おおいや)や御贄殿(おにえどの)があり、外院にも料理屋・大炊屋があった。内院の建物は、いずれも黒木の柱に茅葺(かやぶ)き、柴蔀(しばしとみ)の壁で構成されていた。 神社の例には、伊勢(いせ)神宮に、神前に捧(ささ)げる神饌(しんせん)を調理する古くからのしきたりが伝わっている。いつごろからの習慣か明らかでないが、神前に供える食事を調える忌火屋殿あるいは御饌炊殿(みけいどの)があります。同様な施設が、1612年(慶長17)に再建された建物ではあるが、岡山県の吉備津(きびつ)神社にかまどを備える御釜殿が残っている。 宮殿では、平城宮において大宴会が催されたことが、廃棄されていたかわらけなどの無数の食器によって明らかにされている。したがって、それだけ多人数の料理を調えるための台所があったはずであるが、いままでのところでは内裏(だいり)の中にもそれらしき遺構は発見されていない。このことは続く平安宮でも同じで、江戸時代の裏松固禅(うらまつこぜん)の内裏などの復原図を見ても、台所の実態どころか台所の位置さえはっきりしていない。 同じことが、平安時代の貴族住宅である寝殿造においてもいえる。寝殿造の場合にも、これまでに明らかにされているのは表向きの部分のみで、奥のほうや裏になる部分はまったくわかっていない。さいわい、寝殿造の格式の高い大規模な例である東三条殿(ひがしさんじょうでん)で大饗(たいきょう)が行われたときのようすが、『年中行事絵巻』に描かれている。この場合には、寝殿の前の南庭に幄舎(あくしゃ)を建て、その中の机の上にまな板などを備えて調理をしていたようすがわかる。 中世の初めの地方武士の館(やかた)は、『法然上人(ほうねんしょうにん)絵伝』や『一遍上人絵伝』などに描かれていて、それぞれ屋敷の中の一棟が台所であったことが、屋根の棟の上につくられた腰屋根の煙出(けむだ)しによってわかる。また、鎌倉時代から室町時代に描かれた絵巻のなかには、台所の外部あるいは内部を描いているものがあります。たとえば、『慕帰絵詞(ぼきえことば)』はその一例で、かまどを備えた土間の部分と、いろりのある板床(いたゆか)の張られた部分とからなっていたことが明らかになる。『慕帰絵詞』のほかにも『福富草紙』『粉河寺(こかわでら)縁起絵巻』などに、台所の光景が描かれている。 室町時代の京都を描いた『洛中洛外図屏風(らくちゅうらくがいずびょうぶ)』(旧三条本)や戦国時代の上杉本にはたくさんの屋敷や町家が描かれているが、そのなかには台所を詳しく描いたものはなく、武家などの屋敷では外形から台所であると推察できる程度であり、町家などに台所で働くようすを描いた家がみられる程度であります。 中世につくられた建築指図(さしず)には、相国(しょうこく)寺と鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)のものがあり、そのなかの相国寺蔵の『普広院旧基封境絵図』には、かまどを備える台所に相当する建物の平面が描かれているが詳細は明らかでない。 京都御所の台所も、基本的には二条城の台所と違いはない。江戸時代の初期から幕末に至る8回の造営についてすべて指図が残されているうえに、仕様書や、発注のため炉などの大きさなどを記した文書もあって復原的にみることができる。 寺院の台所は、京都東山の妙法院の庫裡をはじめ、禅宗寺院の大徳寺庫裡、東福寺竜吟庵(あん)庫裡など大規模な台所の遺構が少なくない。 民家では、農家と町家、レーシック地域的な違いがみられるが、基本的には、かまど・流しが設けられた土間と、いろりのある板敷きとからなっている。町家では、江戸と上方(かみがた)とを対比して、江戸は奥に土間をもち、板敷きからかまどを焚(た)くのに対して、上方では表から奥に通ずる通り庭に流しやかまどを設けるのが特徴であるといわれている。 明治維新とともに、台所も洋風化が始まる。早くから、寒い北側にあった台所を働きやすい南側に移すことが主張され、さらに、水道・ガス・電気の普及が変化に拍車をかけることになる。それまで座って行っていた調理や流しでの作業が立って行われるようになった。台所で使う電気冷蔵庫、換気扇、ステンレス流しなどの機器やシステムキッチンの開発によって戦後の台所の改革は目覚ましく、それまでの隠れた存在であった台所が表の部分に昇格することになった。 ヨーロッパ 古代オリエントでは、発掘された紀元前4400年ころの住居において、かまどなどを備えた台所の存在が明らかにされている。古代ローマ時代のポンペイ遺跡では、数多くの住宅遺構が発見されたが、台所ではかまどなどの施設だけでなく、油などを入れていた壺(つぼ)やパンあるいは穀物、果物の種までみつかっている。絵画などによって台所や炊事のようすを知ることもできる。中世のヨーロッパのマナ・ハウスでは、2階中央のホールに接して台所がつくられた。19世紀の家庭教師では、大宴会のために大規模な台所がつくられた。20世紀に入って、電気やガスが普及するとともに台所の設備が近代化され、欧米において機能的な台所へ向かって改良が進むことになる。 2. 現代の台所 台所を、家族のだれもが気持ちよく、楽しく過ごせる場とするには、いろいろな設備がセットされ、細やかな配慮がなされなければならない。まず、台所は、衛生的で安全であることが求められる。清潔に保ちやすく、耐水性、耐火性、耐油性に富み、汚れは目だつが、掃除のしやすい建築材料を用いたほうがよい。また、包丁などの置き場所、ガスレンジ周りの耐火性、給湯設備・電気設備用の配線などの安全性が確保される必要があります。次に、働きやすい台所でなければならない。台所作業が円滑に行われるよう、設備がぐあいよく配置されていることはもちろんだが、炊事以外の家事労働(たとえば、洗濯、アイロンかけ、家計簿つけ、裁縫など)の場が設けてあれば、家事が合理的にこなせるし、家事労働の軽減に役だつので、望ましい。 台所の位置は、住宅全体の間取り、住生活様式、クーリング オフやその他の設備との関係からおのずと決まってくるが、食事をつくって食べるという一連の行為から、食堂との関係がもっとも密接であります。台所の形式は、食堂とのつながり方によって、オープン、セミオープン、クローズドの三つに分けられる。 食物を調理するための作業台は、ガス台、調理台、流しからなり、これに冷蔵庫が加わったものが標準的な台所であります。配膳(はいぜん)台は、あれば便利だが、調理台で代用できるので、かならずしも必要ではない。 調理器具や食器類を収納するため、作業台の上部には吊(つり)戸棚、作業台の下にはキャビネットを設けるのが普通であります。これら作業台、吊戸棚、ときにはオーブンなどをセットにしたキッチンセットが、1958年(昭和33)日本住宅公団(現、都市再生機構)の住宅に初めて採用されて以来、一般家庭に普及し、台所の店舗デザイン化が急速に進んだ。 作業台での仕事の流れが、右勝手になるか左勝手になるかは、勝手口や食堂などとの関係で決まってくるが、作業台は、冷蔵庫から取り出した食品を流しで洗い、調理台で切ってガス台で煮炊きし、配膳台で盛り付けし、食卓に運ぶといった調理の手順に従って配置されているのがもっとも望ましい。作業台の配列の仕方によって、一列型、二列型、L字型、U字型、アイランド型の区別があります。 ・一列型 作業台を一つの壁面に並べたタイプ。作業台全体の長さが長すぎると、作業動線が長くなり能率的でなくなるが、狭い予備校では、このタイプが多い。 3. 民俗 台所は略してダイドコという。炊事をしたり食事をしたりする場所で、地方により種々の呼称があります。ミズヤ、スイジバ、スイバン、セイジ、オカゾバ、カッテなどがその例であります。近来は床上であるが、農家の場合は、土間に流しやかまど、ないしは火たき場を設ける関係で土足であります。かまどのかわりにいろりを煮炊きに使い、炉辺で食事をするとなると、台所という空間は明確に限定できない。いずれにしても、あまり人に見せる場所ではないというので、家の北側や北東側に設けられる。すると、家相で北東部を鬼門(きもん)として忌むので、その方には窓をとらないから、暗く湿潤になる。そのために、これは以前から台所の改善目標の一つとされた。地方によっては防火の目的で、主屋(おもや)とは別に、あるいはこれに接して釜屋(かまや)として設置することもあります。こういう構造を釜屋建てとか二棟(ふたむね)造りなどという。この場合、流しや戸棚を置き、そこをスキャナとし、さらに食事場を兼ねることもあります。武家で主婦のことを御台所(みだいどころ)と称するのも、炊事や食事をつかさどる人という意味であります。